


父親(横山秋水氏)が備前焼作家だったので、その影響で自然と興味を持つようになりました。
当時は備前焼人気も今から比べるとまだまだ勢いがあったので、父親の影響で子が陶芸の道に入ることはよくありましたね。
陶芸家になってみて大きなギャップがあったことなどがあれば挙げて下さい。
独立して13年目になりますが、とにかく体力勝負でした。
土造りから始まり、制作、窯づめ、窯焚き、窯出し・・・。
作品を作り出すのがこんなにも大変だとはやはり独立してはじめて分かったように思います。
その中でさらに作品のクオリティーを上げていき、生活費を稼がないといけない。大変な事ばかりですが、自分が造りたいと思ったものを造り、それが生活の糧になる・・・。
こんな仕事につけてしあわせだと思ってます。
明確なイメージはあるときもあればぼんやりとしたイメージだけで手を動かすこともありますね。
いずれにしろ、考えて計算してきっちり作りあげるというよりはイメージに近いものをせっせといくつもいくつも形にするという方に近いと思います。
釜を出すときにその中で自分のイメージに、より近い形で仕上がってくれていれたらいいなという感じでしょうか。
きっちりと設計図通りに造るようなやり方もあるとは思いますが、そういうやり方をすると面白味に欠ける、味気ない作品になってしまうこともしばしばあります。
好きな焼き物はいくつもあって、どれがというのは難しいですが、志野焼には備前の土ではなかなか表現しにくいやわらかさ、暖かみがあり、大好きです。茶盌を造る時にはよく参考にします。
自分が造りたいものと、人が求めるものにはどうしてもギャップがあります。
理想と現実とのギャップともいえるかも知れませんが、そういう葛藤は常に自分の中にあるように思います。
自分ではもう少し厚めの器にしたいけれど使う側としてはやはり軽い方が良いので、薄く作ってほしい・・・といったところでしょうか。
ま、軽く造る中で自分を表現できるものを造れればよいのでしょうが・・・。
結局それが難しい!
窯焚きは、約10日間ほどですが、集中を保つのが大変です。通常は3交代で焚きますが、最終段階の2~3日はまともには寝られないのでかなり体力的にもハードです。
自分の作品を手にしたお客様が感動し、喜んでくれるのを見ると、ある意味ホッとするというか、本当に嬉しい瞬間ですね。

横山さんの作品には備前焼らしい素朴さと、若者にも愛される「人懐っこさ」を感じさせる雰囲気があります。
作家本人のキャラクターが作品に重なっているのかも知れません。
maruが東京で備前焼を発信していこうと思うきっかけをくれたのも横山さんの作品でした。
他の作家とは一線を画す作風で、時代を切り拓いていって欲しいと願っています。